土曜の夜、午後11時

手紙とかほんとにいいもんだなあと思う。僕がすごく仲良かったと思っていて、なんてゆうんだろう女の子とクラブ行くとかって彼女とかでも結構躊躇するしはっちゃけられないんじゃないだろうかという危惧がどうも僕を女の子をクラブに誘うのは躊躇させる部分があってせっかくクラブ来たのにその子を気に掛けてはっちゃけられないのはどうなんだろう、というのがあるので避けていたのだが、彼女だけは別という人がいて彼女はいま岡山だ。だから最近は躍りたい!と思う日も行けないときがほとんどで以前だったら踊りたいねーうん躍りたいいっちゃう?いこう!とゆー流れでクラブはすぐ近くにあったものだからいまは彼女がいないのでダンシングライフはまじで不幸。土曜の夜なのになー土曜の夜に家で、なんて以前はほとんどありえなかった気がするし躍りたい!
だから彼女から手紙が届いた日はたいそう一日中わくわくして鞄のなかに一日中手紙を入れてわくわくなんてした。僕は彼女のことが好きだったのかもしれないとすら思う最近は。彼女からの手紙は思っている以上にすっと心に入ってきてむーんと思う。 
ほんと最近はさびしい。僕の好きな人たちがどんどん遠くに行ってしまい、僕は自分の好きな人たちとそれこそ店やってスクリーンで映画見たり昼に誰かが買ってきた名前も知らないバンドのCD聞いてへーこれかっこいいねーとか会話したりパワプロやったりするのが理想なので好きな人たちが離れていくなんてほんと理想の逆をつっぱしるのでよろしくない。岡山の彼女以外にも10月でまた少なからずの僕の好きな人たちが大阪に行ってしまったりするのでここ一週間で10回は泣いている。別の僕の好きな大阪行ってしまう女の子は最近誕生日でみんなで誕生日パーティーしたのだけれどそこで僕は本をあげて文庫のカバーを外していろいろ描いてプレゼントしたのだけど、パーティー終わった夜に彼女からメール来て、彼女は東京来てよかった大地くんに会えてよかった私のこと絶対忘れんといてなとか言うもんだから泣く以外の選択肢は存在しなかった。ばかやろー忘れるわけないだろーが!と叫んだりもした。
愛してる人ばかりが僕を作るのだと思う。社会出たあと出会った人とか別に僕が主人公の未来日記に登場しないひとばかりだがそれでも何人かはその物語に出てきてほしい人もいてほんと僕と僕の愛する人たちが幸せになれさえすればほんとに僕に必要なものなんて何もない。
今日はC65カフェで今度映画評を雑誌に書くことになるのでその打ち合せを友だちなんかとしてその前にベトナムフェスも行ってカフェ行ってこれから僕らが幸せになるための道筋なんて話し合った。その友だちはマガハ行きたかったんだけど親に反対されマガハ行けずいまは超安定的な大企業で研修みたいな超つまらない仕事について後悔して親とかときには人生設計の障害になりうることもあり、もんもんとして自分で雑誌作ろう!と決めたのでそーゆう覚悟に僕が応援できないでどーするのと思うので僕にできることは何か、思いが伝わるような映画評でも書ければ、と思う。
いま仙台に行ってしまった友だちというか漫才の相方から電話来た。長電話した。やりたいことなんていくらでもあるんだ。生きたいんじゃないんだ。